2025-2026年 日本産業における成熟ノード半導体危機の深層分析:経済安全保障とサプライチェーン再構築への道程
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車載向け半導体(成熟ノード)の不足と値上げの影響
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1. 序論:成熟ノード危機(Legacy Node Crisis)の構造的転換点
2025年後半から2026年初頭にかけて日本経済を襲っている半導体不足と価格高騰の波は、2020年から2022年にかけて世界を混乱させたパンデミック期の供給ショックとは、その質と構造において決定的に異なっている。かつての危機が「一時的な物流停止」や「巣ごもり需要による突発的な需給逼迫」であったとすれば、現在進行形の危機は、産業構造の不可逆的な変化、地政学的な分断、そしてテクノロジーの進化が複雑に絡み合った「構造的複合危機」であると言える。
本報告書では、特に「成熟ノード(Legacy Node)」と呼ばれる、線幅28ナノメートル(nm)以上の旧世代プロセスで製造される半導体に焦点を当てる。最先端のAIチップ(3nmや5nmプロセス)がメディアの注目を集める一方で、自動車、産業機器、家電製品、そして社会インフラの心臓部を担っているのは、依然としてこの成熟ノード半導体である。パワー半導体(PMIC)、マイクロコントローラ(MCU)、アナログIC、センサーといったこれらのデバイスは、産業の「米」としての地位を不動のものにしているにもかかわらず、長年にわたる設備投資の停滞と、急速なAIブームによる生産ラインの競合(クラウディングアウト)により、かつてない供給危機に瀕している。
さらに、2025年の世界情勢は、オランダの半導体メーカーNexperiaを巡る地政学的摩擦や、米国トランプ政権(2026年時点)による関税政策の復活など、自由貿易体制の動揺を背景としており、これが日本の輸出産業に深刻な影を落としている。本章では、この多層的な危機の全体像を俯瞰し、次章以降の詳細な分析への導入とする。
1.1 「成熟ノード」の定義と産業的重要性
「成熟ノード」あるいは「レガシープロセス」とは、一般的に28nm以上のプロセスルールで製造される半導体を指す。これらは、最先端のロジック半導体のような微細化競争の最前線にはないが、高耐圧・高信頼性が求められる領域では代替不可能である。
- パワー半導体: 電力の変換や制御を担い、電気自動車(EV)のインバータやデータセンターの電源管理ユニット(PMU)に不可欠である。
- マイクロコントローラ(MCU): 自動車のエンジン制御(ECU)、ブレーキ制御、エアバッグ展開、空調管理などを司る「走る・曲がる・止まる」の基本機能を制御する。
- アナログIC・センサー: 温度、圧力、画像を感知し、デジタル信号に変換するインターフェースとして機能する。
これらは、最先端プロセスのような高額なEUV露光装置を必要としないが、減価償却を終えた古い設備で製造されることが多く、利益率が低いため、ファウンドリ(受託製造企業)にとって新規投資のインセンティブが働きにくいという構造的な課題を抱えていた。この「投資の空白」が、2025年の需要爆発に対応できない根本原因となっている。
1.2 2025-2026年危機のトリプルショック
現在の日本産業が直面している困難は、以下の三つの要因が同時多発的に発生したことに起因する。
- Nexperiaショックとサプライチェーンの分断: オランダに拠点を置くNexperia社は、ディスクリート半導体の世界的大手であるが、中国企業Wingtech Technologyの所有下にあることから、欧州および米国との間で政治的な綱引きの対象となった。2025年、オランダ政府の介入や所有権争いの激化により、同社からの出荷が停止・遅延する事態が発生した1。これは、ジャスト・イン・タイム(JIT)方式に依存していた日本の自動車メーカーの生産ラインを直撃した。
- AI需要によるクラウディングアウト: 生成AI市場の急拡大(2025年には市場規模1,500億ドル超4)は、GPUなどの演算チップだけでなく、それを駆動するための電力管理チップ(PMIC)の需要を爆発させた。PMICは成熟ノードで製造されるため、本来自動車や産業機器に向けられるはずだった生産能力が、高収益なAIサーバー向けに奪われる現象(クラウディングアウト)が発生している5。
- コスト構造の恒久的変化: TSMCやVanguard International Semiconductor(VIS)などの主要ファウンドリは、需給逼迫と地政学リスク対応コストを理由に、2026年に向けて成熟ノードを含むウェハ価格の引き上げ(4〜10%)を断行した5。これは「半導体は安価な部品である」という従来の前提を覆し、最終製品のインフレ要因として固定化されつつある。
2. マクロ経済への影響:成長の足かせとなる供給制約
日本経済において、半導体不足は単なる一部品の欠品問題にとどまらず、GDP成長率、貿易収支、そして物価動向を左右するマクロ経済変数となっている。2025年後半から顕在化した経済指標の悪化は、供給制約がいかに深く経済活動を阻害しているかを如実に示している。
2.1 実質GDP成長率への下押し圧力
内閣府および関連機関のデータによると、2025年第3四半期(7-9月期)の日本経済は、年率換算で2.3%のマイナス成長を記録した8。この収縮の主因は需要不足ではなく、明白な供給制約にある。
純輸出の減少と機会損失
GDP収縮の要因の約半分は、純輸出の減少と民間在庫の取り崩しによって説明される。特に、日本の輸出の主力を担う自動車産業において、海外からの需要は堅調であるにもかかわらず、半導体不足によって製品を完成させることができず、輸出機会を逸失している。この「作れば売れるのに作れない」状況は、企業収益を圧迫するだけでなく、関連する鉄鋼、化学、物流といった広範なサプライチェーン全体に負の波及効果を及ぼしている。
設備投資の減退
企業の設備投資(Business Fixed Investment)も年率0.8%の減少となった8。これは、先行き不透明感に加え、半導体製造装置や産業用ロボット自体の納期遅延により、投資を実行しようとしても物理的に納入されないという事態が発生しているためである。企業の投資意欲が物理的な制約によって削がれる状況は、将来の潜在成長率を低下させるリスクを孕んでいる。
2.2 貿易構造の変容と「悪い円安」の顕在化
2025年から2026年にかけての為替市場では円安基調が続いているが、これが輸出数量の増加に結びつかない「輸出数量の弾性値低下」が顕著になっている。
| 経済指標 | 2025年12月/Q3実績 | 構造的背景と分析 |
|---|---|---|
| 自動車輸出 | 5.4%減少 (対米国 11.1%減) | Nexperia問題による部材不足と、米国トランプ政権の関税リスクによる手控え9。 |
| 半導体輸出 | 11.3%増加 | 台湾・マレーシア等の後工程拠点へのウェハ・部材供給増。アジア域内貿易の活発化9。 |
| 貿易収支 | 赤字幅の拡大 | 輸出数量減に加え、エネルギー価格と半導体輸入単価の上昇が輸入額を押し上げている。 |
特筆すべきは、半導体そのものの輸出は増加している点である。これは日本の半導体素材・製造装置メーカーが高い競争力を維持していることを示しているが、付加価値の高い最終製品(自動車)の輸出が減少しているため、国全体としての交易条件は悪化している。日本は「半導体の材料を輸出し、高騰した半導体を搭載した製品を輸入する」あるいは「半導体不足で完成車を輸出できない」というジレンマに陥っている。
2.3 インフレと金融政策への影響
半導体価格の上昇は、国内の企業物価指数(CGPI)および消費者物価指数(CPI)に対する持続的な上昇圧力となっている。
- コストプッシュ・インフレ: TSMC等のファウンドリによる値上げ(2026年より5-10%7)は、完成車メーカーや電機メーカーの原価を直撃している。これに加え、円安による輸入コスト増が重なり、企業は価格転嫁を余儀なくされている。
- 金融政策の困難: 日本銀行は2024年に金利ある世界へと復帰したが、この供給ショック主導のインフレに対し、さらなる利上げで対応すれば、弱含んでいる景気をさらに冷え込ませるリスクがある。他方で、財政政策としては、17.7兆円規模の経済対策(物価高対策や賃上げ支援)が講じられているが8、これはインフレ圧力を助長する可能性があり、財政と金融のポリシーミックスは極めて難しい局面にある。
2.4 鉱工業生産の停滞
経済産業省が発表する鉱工業生産指数においても、半導体不足の影響は鮮明である。2025年12月の生産予測は前月比0.4%減と、2ヶ月連続の低下が見込まれている10。 特に影響が大きいのは以下のセクターである。
- 輸送機械工業: 自動車の減産が全体を押し下げている。
- 情報通信機械工業: サーバーやネットワーク機器向けの部品不足が響いている。
- 金属製品工業: 自動車向けのプレス部品等の需要減が波及している。
経済産業省は生産の基調判断を「一進一退」としているが、実態としては供給制約による「足踏み」が長期化しており、2026年1月の予測では反発(+8.0%)が見込まれているものの、これが実現するかはNexperia問題の解決や代替調達の進捗に依存しており、不確実性が高い10。
3. 影響を受ける主要産業の詳細分析
半導体不足の影響は全産業に波及しているが、その震源地である自動車産業と、成長産業としてのロボット産業、そして意外な影響を受けているニッチ産業について詳細に分析する。
3.1 自動車産業:危機の震源地と各社の明暗
自動車産業は日本の製造業出荷額の約2割を占める基幹産業であるが、今回の成熟ノード危機の影響を最も深刻に受けている。現代の自動車は「走る半導体」とも呼ばれ、1台あたり1,000個以上のチップを搭載している。特に、パワーウィンドウ、シート制御、ドアロックなどの基本的な機能を司る成熟ノードのチップが1つでも欠ければ、高度な自動運転機能を持つ車両であっても出荷ラインから出すことはできない。
3.1.1 ホンダ:Nexperiaショックの直撃
ホンダは今回の危機において、最も大きな打撃を受けたメーカーの一つである。特にオランダNexperia社からの部品供給停止が響いた。
- 定量的影響: 2025年度上半期の北米生産において、当初計画比で約11万台の減産を余儀なくされた。これにより、営業利益ベースで約1,500億円(9億6900万ドル)のマイナスインパクトが発生したと報告されている3。
- 中国市場での苦戦: 中国国内においても、広東省の工場再開が2週間延期されるなど、サプライチェーンの寸断が生産計画を狂わせている11。ホンダは代替調達を急いでいるが、車載半導体の認証プロセス(AEC-Q100等)には時間を要するため、即座の解決は困難な状況にある。
3.1.2 日産:九州工場での断続的な調整
日産自動車もまた、供給網の混乱に巻き込まれている。
- 生産調整: 2025年11月には、主力拠点である九州工場において2度の生産調整を実施した。当初900台、続いて1,400台の減産を行い3、生産ラインの稼働率を落とさざるを得なかった。日産はEVシフトを加速させているが、EVはガソリン車よりもさらに多くのパワー半導体を必要とするため、成熟ノード不足の影響を受けやすい構造にある。
3.1.3 トヨタ・デンソー:リスク管理の奏功
対照的に、トヨタ自動車およびその主要サプライヤーであるデンソーは、相対的に被害を最小限に食い止めている。
- 戦略的在庫(Buffer Stock): 2021年の供給危機の教訓から、トヨタグループはリスクの高い半導体チップについて、数ヶ月から半年分の戦略的在庫を積み増す「BPC(Business Continuity Plan)在庫」の運用を徹底していた。
- 代替調達と連携: デンソーはNexperia問題発生直後から、複数のコンポーネントサプライヤーとの連携を強化し、代替リソースの確保と在庫管理の最適化を行った。その結果、デンソーは「配送スケジュールは順調」とし、2025年度の財務予測においても供給制約による大幅な販売減少は織り込んでいないと発表している12。これは、サプライチェーンの可視化と強靭化が企業競争力の格差として現れた事例である。
3.1.4 中古車市場への波及
新車の供給遅延は、直ちに中古車市場の需給バランスを崩壊させている。
- 納期遅延: 2026年1月時点でのホンダ「ヴェゼル」の納期は平均3.1ヶ月程度であるが、一部のグレードや色では半年以上の待ちが発生している13。新車が手に入らない消費者は、即納可能な中古車へと殺到している。
- 価格高騰の継続: これにより、2021年頃から始まった中古車価格の高騰が2026年に入っても収束せず、むしろ高止まりしている。円安による新車価格の上昇も、消費者の目を中古車に向けさせる要因となっており、人気車種(N-BOXやハスラーなど)であっても流通量が多い車種以外は価格が高騰する傾向にある14。
3.2 産業用ロボット・機械:自動化需要と供給のミスマッチ
日本のロボット産業は、世界的な人手不足(労働力不足)を背景に、工場の自動化(FA)やサービス分野での導入が進み、2026年には市場規模が2兆円を超えると予測される成長産業である15。しかし、ここでも半導体不足が成長のボトルネックとなっている。
- 重要部品の納期長期化: サーボモーターやコントローラーに使用されるパワー半導体やMCUの不足により、産業用ロボットの納期が長期化している。日本機械工業連合会(日機連)などの8工業会は、経済産業省に対して重要部品の納期対策に関する政策提言を行う事態に至っている16。
- サービスロボットの普及遅延: 高齢化が進む日本において、介護支援や物流、小売現場でのサービスロボットへの期待は大きい。政府は2026年3月までにAIロボティクス国家戦略を策定するとしているが17、ハードウェアの供給制約が、これらロボットの実社会への実装スピードを鈍化させている。ロボット密度世界3位を誇る日本にとって18、この足踏みは産業競争力の維持における懸念材料である。
3.3 住宅設備・インフラ:給湯器危機の再燃
2021年に発生した「給湯器ショック」(ベトナムのロックダウンによる部品供給停止で給湯器が数ヶ月待ちとなった事態)の悪夢が、形を変えて再来しつつある。
- 補助金と納期の板挟み: 住宅の省エネ化を推進する「給湯省エネ2026事業」などの補助金制度が需要を喚起している一方で、給湯器メーカーは半導体不足による生産遅延に直面している。これにより、「補助金の申請期限に工事が間に合わない」「在庫切れで予約ができない」といったトラブルが多発するリスクが高まっている19。
- 生活インフラの脆弱性: 給湯器は故障すれば日常生活に直結する重要インフラである。半導体不足が「お湯が出ない生活」を強いる可能性は、国民生活の質(QOL)に対する直接的な脅威となっている。
3.4 精密機器・トイレタリー:風が吹けば桶屋が儲かるか?
半導体市場の変動は、予期せぬ形でニッチな産業にも波及している。
デジタルカメラ:関税とコストの二重苦
デジタルカメラ市場は、半導体不足のみならず、2026年の米国トランプ政権による関税政策の標的となっている。
- 対日関税の影響: トランプ大統領は、日本からのカメラ製品輸入に対して24%の関税を課すと発表した21。これに半導体コストの上昇(25%の輸入半導体関税含む)が加わり、キヤノン、ニコン、ソニーなどの主要メーカーは米国市場での価格引き上げを余儀なくされている22。
- 生産拠点の見直し: 部品調達コストの上昇と関税障壁は、日本のカメラメーカーに対し、生産拠点の再編(日本国内回帰か、関税回避のための第三国移転か)という難しい経営判断を迫っている。
スマートトイレ(TOTO):AIブームの意外な勝者とリスク
日本のトイレタリー大手TOTOは、一見すると半導体とは無縁に見えるが、実は密接な関係にある。
- AI半導体製造装置への貢献: TOTOが持つ高度なセラミック技術は、半導体製造装置においてウェハを固定する「静電チャック(Electrostatic Chucks)」の製造に不可欠である。AI半導体ブームにより製造装置の需要が急増したことで、TOTOの株価は10%近く急騰し、AI関連銘柄として認識されるに至った23。
- 製品供給のリスク: 一方で、主力製品である温水洗浄便座(ウォシュレット)自体も多くの半導体を使用する「家電」である。半導体不足による納期遅延はトイレ市場にも及んでおり、TOTOは「半導体を作るための部品」で利益を上げつつ、「半導体不足で自社製品が作れない」リスクと背中合わせの状況にある25。また、最新のスマートトイレは便の分析などのヘルスケア機能を搭載し、より高度なチップを必要としているため、影響を受けやすくなっている。
4. 日常生活への影響:消費者が直面する「新たな現実」
2026年の日本の消費者は、産業界の混乱を「不便」「インフレ」「サービスの質の変化」という形で直接的に体験することになる。
4.1 「待つ」ことの常態化と消費行動の変化
かつては「注文すれば翌日届く」「契約すればすぐ納車される」ことが当たり前だった日本の消費環境は、大きく変容している。
- 購入計画の長期化: 新車購入や住宅のリフォーム(給湯器交換など)において、数ヶ月から半年のリードタイムを見込む必要が生じている。これにより、故障してから買い替えるのではなく、故障する前に予防的に発注する「予防購買」の行動様式が広まりつつある。
- 中古品選好: 待ち時間を嫌う消費者は、即時入手可能な中古品市場へと流れている。これは中古車価格の高騰だけでなく、リユース市場全体の活性化を促している。
4.2 コスト負担の増加
企業間の取引価格上昇は、最終消費者価格への転嫁として現れている。
- 耐久消費財の値上げ: 自動車、家電、カメラなどの価格は、半導体コストの上昇分に加え、円安による原材料費高騰分が上乗せされ、上昇基調にある。特に、関税の影響を受ける輸入品や、グローバル価格で決定される製品(iPhoneやPCなど)の価格上昇は著しい。
- 修理コストの増大: 部品不足は修理部品(補修用パーツ)の供給も滞らせるため、修理期間の長期化や修理費用の高騰を招いている。
4.3 自動化サービスの停滞
人手不足を補うための自動化サービス(配膳ロボット、セルフレジ、自動運転バスなど)の導入が遅れることで、消費者は「人手不足によるサービスの低下」をより強く感じるようになる可能性がある。例えば、レストランでの待ち時間の増加や、配送サービスの遅延・縮小などが懸念される。
5. 経営戦略と国家戦略:デカップリングとサプライチェーン強靭化への転換
企業および日本政府は、この構造的な危機に対して、従来の「効率性最優先(Efficiency)」から「強靭性最優先(Resilience)」へと、戦略の根本的なOSを書き換えようとしている。
5.1 企業の対応策:「ジャスト・イン・ケース」へのシフト
日本の製造業が長年誇ってきた「ジャスト・イン・タイム(必要なものを必要な時に必要なだけ)」方式は、平時には極めて効率的だが、有事には脆弱であることが露呈した。これに代わり、「ジャスト・イン・ケース(万が一のために)」の思想が浸透しつつある。
ブロックチェーンによるサプライチェーンの可視化
日本自動車工業会(JAMA)は、トヨタやホンダを含む加盟メーカーおよび部品サプライヤーと共に、ブロックチェーン技術を活用した半導体データ共有プラットフォームを立ち上げ、2026年から本格運用を開始する26。
- 目的: サプライチェーンの末端(Tier N)までの在庫状況や生産リスクを、高いセキュリティレベルでリアルタイムに共有すること。
- 効果: Nexperiaのような特定企業の供給停止リスクを早期に検知し、業界全体で代替生産や在庫融通を行うことで、ライン停止の連鎖(ブルウィップ効果)を防ぐ。これは、個社ごとの競争領域ではなく、業界全体の生存に関わる協調領域としての取り組みである。
設計変更と調達の多重化(マルチソーシング)
特定の一社や特定の国(特に地政学リスクの高い中国)に依存しない調達体制の構築が進んでいる。
- 代替品の認証加速: ホンダや日産は、汎用性の高い代替チップの使用を可能にするための設計変更や、認証プロセスの迅速化に取り組んでいる。
- 在庫積み増し: トヨタのように、リスクの高い部品については数ヶ月分の在庫を持つことが、経営上の「保険」として正当化されるようになった。
5.2 国家戦略:METIによる「産業のコメ」奪還計画
経済産業省(METI)は、半導体を国家の存亡に関わる戦略物資と位置づけ、過去に例を見ない規模の産業政策を展開している。その焦点は、最先端(Rapidus)と成熟ノード(パワー半導体)の「二兎を追う」戦略である。
パワー半導体における「日の丸連合」の形成
日本が強みを持つパワー半導体分野において、国内企業の統合と再編を促すための巨額補助金を投入している。
- ローム・東芝連合への支援: 2025年12月、METIはロームと東芝(およびその製造子会社)によるパワー半導体増産計画に対し、総額1,294億円(約9億ドル)の補助金を交付した28。これは両社の投資総額(約3,883億円)の3分の1に相当する。
- ローム: 宮崎県のラピスセミコンダクタ工場でSiC(炭化ケイ素)ウェハおよびパワーデバイスを増産。
- 東芝: 石川県の加賀東芝エレクトロニクスで300mmシリコンパワー半導体の生産能力を増強。
- 戦略的意図: この連携は、将来的な両社の事業統合も視野に入れたものであり、分散していた国内のリソースを集約することで、ドイツのInfineon Technologiesなどのグローバル大手に対抗できる規模の経済を追求するものである30。
ルネサスの復活と国内回帰
ルネサスエレクトロニクスは、2014年に閉鎖した甲府工場(山梨県)に900億円を投じ、パワー半導体専用の300mmウェハ工場として再稼働させ、2025年から量産を開始した31。一度手放した国内工場を最新鋭のラインとして復活させる動きは、製造業の国内回帰(リショアリング)の象徴的な事例である。これにより、ルネサスはパワー半導体の生産能力を倍増させ、EV向け需要の取り込みを図る。
予算の抜本的拡充
METIは2026年度予算において、半導体・AI関連の予算を前年度比約4倍の1.23兆円へと大幅に増額する方針を打ち出している33。これは、単発の補正予算頼みではなく、安定的かつ継続的な支援体制(基金化など)を構築することで、企業の予見可能性を高め、長期的な投資を引き出す狙いがある。
5.3 人材不足という最大の壁
設備投資が進む一方で、それを動かすエンジニアの不足が深刻化している。JEITA(電子情報技術産業協会)の予測では、今後10年間で4万人の半導体人材が不足するとされている34。
- Rapidusの挑戦: 最先端2nmプロセスを目指すRapidusは、IBMへの技術者派遣を行っているが、量産立ち上げ(2027年目標)に向けて数千人規模のエンジニアが必要となる。
- 産学官連携: 九州(TSMC進出地)や東北などの地域コンソーシアムが中心となり、大学でのカリキュラム策定や高専教育の強化など、人材育成のエコシステム構築が急ピッチで進められている35。
6. 結論と将来展望:未来に向けた日本の針路
2026年は、日本産業界にとって「耐える年」であると同時に、次なる成長軌道へと転換するための「構造改革の年」となる。
6.1 短期展望(2026年内)
- 供給制約の継続: Nexperia問題の完全解決や代替調達の確立には時間を要するため、自動車メーカーの生産調整は2026年前半まで断続的に続くだろう。
- インフレ圧力: TSMC等の値上げ効果が浸透し、最終製品価格への転嫁が進む。消費者の購買力低下が懸念される。
- 成長率の低迷: 輸出の伸び悩みにより、GDP成長率は1%未満の低空飛行となる可能性が高い。
6.2 中期展望(2027-2028年)
- 投資効果の発現: ローム、東芝、ルネサス等の国内設備投資が稼働し始め、パワー半導体の国内自給率が向上する。これにより、海外の地政学リスクに対する耐性が高まる。
- 価格の安定化: 供給能力の拡大とAI需要の一服(あるいはキャパシティの調整)により、成熟ノードの需給バランスが改善に向かうことが期待される。
- 競争力の回復: ブロックチェーンによるデータ共有やデジタルツイン活用が進み、日本の自動車産業のサプライチェーン管理能力が再び世界のベンチマークとなる可能性がある。
6.3 長期展望と提言(2030年以降)
日本が目指すべきは、単なる「不足の解消」ではなく、世界の半導体供給網における「不可欠な結節点(チョークポイント)」としての地位を再確立することである。
- 戦略的不可欠性の確保: 最先端ロジック(Rapidus)への挑戦と同時に、パワー半導体や素材・製造装置という日本が勝てる領域で圧倒的なシェアを握り、他国からの経済的威圧に対する抑止力とする。
- グローバル連携の深化: 自前主義に固執せず、TSMCやIBM、IMECといった海外パートナーとの連携を深め、イノベーションを取り込み続ける姿勢が重要である。
- 人材への投資: 結局のところ、技術を作るのは人である。教育システムへの投資と、海外からの高度人材受け入れ体制の整備が、日本の半導体産業復権のラストピースとなる。
現在の「痛み」は、日本が失われた30年の「投資不足」を清算し、経済安全保障という新たなルールに基づいた産業構造へと脱皮するための、避けては通れないコストである。この危機を奇貨として、官民一体となった構造改革を完遂できるかが、21世紀中盤における日本の産業競争力を決定づけることになるだろう。
補遺:主要統計・データ
表1:2025-2026年の主な半導体関連投資・補助金(日本国内)
| 企業名 | 投資・事業内容 | 投資総額 (概算) | 政府補助金 (最大) | 生産品目・詳細 | 拠点 |
|---|---|---|---|---|---|
| ローム / ラピス | SiC/Siパワー半導体増産 | 2,892億円 | 合算で1,294億円 | SiCウェハ、パワーデバイスの統合生産体制構築 | 宮崎県 |
| 東芝 / 加賀東芝 | Siパワー半導体増産 | 991億円 | (ロームと合算) | 300mmラインでの高効率生産、EV向け供給強化 | 石川県 |
| ルネサス | 甲府工場再稼働 (300mm) | 900億円 | – | 閉鎖工場の再開、IGBT・パワーMOSFET倍増計画 | 山梨県 |
| デンソー / 富士電機 | SiC生産連携 | – | 705億円 | SiCパワー半導体の共同生産・供給安定化 | – |
出典: 28
表2:2026年1月時点の新車納期状況(ホンダ・ヴェゼルの例)
| 車種タイプ | 納期目安 | 傾向と要因 |
|---|---|---|
| ガソリン車 | 3〜4ヶ月 | 比較的安定しているが、以前よりは長期化。 |
| ハイブリッド車 (e:HEV) | 1〜2ヶ月 | 直近で改善傾向にあるが、地域や販社による在庫差が大きい。Nexperia問題の影響を受けた部品の調達状況に左右される。 |
| 平均実勢納期 | 約 3.1ヶ月 | 最長で7.5ヶ月の事例もあり。消費者は不確実性を嫌気し中古車へ流出。 |
出典: 13
引用文献
- 日本メーカー、ネクスペリアの半導体出荷停止で対策急ぐ 幅広い使用で甚大な影響, https://www.aba-j.or.jp/info/industry/25094/
- Nexperia fallout threatens automobile production as Japanese carmakers warn of supply disruptions while European companies prep assembly line shut-downs — mature-node chip market in crisis as supply dwindles | Tom’s Hardware, https://www.tomshardware.com/tech-industry/semiconductors/nexperia-fallout-threatens-automobile-production-as-japanese-carmakers-warn-of-supply-disruptions-while-european-companies-prep-assembly-line-shut-downs-mature-node-chip-market-in-crisis-as-supply-dwindles
- Carmakers find chip workaround as Nexperia dispute continues – Automotive Logistics, https://www.automotivelogistics.media/supply-chain/carmakers-take-matters-into-their-own-hands-to-address-nexperia-semiconductor-shortage-as-internal-dispute-continues/2589192
- 2025 Global Semiconductor Industry Outlook – Deloitte, https://www.deloitte.com/us/en/insights/industry/technology/technology-media-telecom-outlooks/semiconductor-industry-outlook.html
- [News] AI Demand to Lift Mature-Node Prices; SMIC Reportedly Up 10%, Vanguard Estimated Up 4–8% From Q1 – TrendForce, https://www.trendforce.com/news/2026/01/27/news-ai-demand-to-lift-mature-node-prices-smic-reportedly-up-10-vanguard-estimated-up-4-8-from-q1/
- TSMC to Raise Sub-5nm Chip Prices by 3–5% in 2026 — What It Means for NVIDIA, Apple, and the AI… – Medium, https://medium.com/@kumari.sushma661/tsmc-to-raise-sub-5nm-chip-prices-by-3-5-in-2026-what-it-means-for-nvidia-apple-and-the-ai-cacb8343fb40
- [News] TSMC to Implement a Significant Price Hike : r/hardware – Reddit, https://www.reddit.com/r/hardware/comments/1nafo68/news_tsmc_to_implement_a_significant_price_hike/
- Japan economic outlook, January 2026 – Deloitte, https://www.deloitte.com/us/en/insights/topics/economy/asia-pacific/japan-economic-outlook.html
- Japan exports rose despite US tariffs and China tensions | snaps – ING Think, https://think.ing.com/snaps/japan-exports-rose-in-december-despite-us-tariffs/
- Preview: Forecasters See Japan’s Industrial Output Down 0.4% on Month in December, https://www.tradingview.com/news/macenews:c3636fa3e094b:0-preview-forecasters-see-japan-s-industrial-output-down-0-4-on-month-in-december/
- ホンダ中国工場が生産再開、半導体の代替調達で – NNA ASIA, https://www.nna.jp/news/2886174
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- 新型ヴェゼルの納期最新情報2025年版!遅れが早まる?短縮方法も公開中 – 合同会社アント, https://ant-llc.co.jp/car/vezel/nouki
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- Japan’s Technology Sector Drives AI and Semiconductor Growth – BofA Securities, https://business.bofa.com/jp/en/japan-insights/technology-semiconductor-ai-industry-growth.html
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- 【速報】給湯省エネ2026事業 情報解禁!給湯器への買い替えは今がチャンス!, https://syscomnet.co.jp/blog/ecocute006/
- Trump’s Plan for a 24% Tariff on Japan Likely to Impact Camera and Lens Prices | PetaPixel, https://petapixel.com/2025/04/02/trumps-plan-for-a-24-tariff-on-japan-likely-to-impact-camera-and-lens-prices/
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- Is Rohm closer to acquiring Toshiba’s power chip business? – EDN, https://www.edn.com/is-rohm-closer-to-acquiring-toshibas-power-chip-business/
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- Renesas Commences Operations of Kofu Factory as Dedicated 300-mm Wafer Fab for Power Semiconductors, https://www.renesas.com/en/about/newsroom/renesas-commences-operations-kofu-factory-dedicated-300-mm-wafer-fab-power-semiconductors
- METI budget hike: Japan lifts chip and AI funding for FY 2026 – eeNews Europe, https://www.eenewseurope.com/en/meti-budget-hike-japan-chip-ai-fy-2026/
- Japan’s ambitious semiconductor plan – East Asia Forum, https://eastasiaforum.org/2024/08/30/japans-ambitious-semiconductor-plan/
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- Japan launches US$670 million semiconductor subsidy scheme – Global SMT & Packaging Asia, https://globalsmtasia.com/japan-launches-us670-million-semiconductor-subsidy-scheme/

